高校卒業後
和装小物の会社に就職し、婦人服の製造卸部門で5年間営業や、企画に携わりました。
その後、転職しセールスドライバーを20年間従事しました。
両方の仕事とも、直接お客様やオーナー様の思いにふれあい、とても好きでした。
職場の人間関係も何も問題ありませんでした。
しかし、だんだん働き方改革や会社が発展するにつれて、お客様目線でなく、自己利益重視・ロボット化される働き方になっていく会社の体制に、人のぬくもりも感じることがなくなり、業務に携わっていても、感情が薄れて仕事をしている自分がいました。
自身の仕事に対する思い
自身が、仕事に向き合うにあたって、下記のようなことを大事にしています。
これらをもとに、どのような仕事ならこれを実現できるのか?
自分らしく、いきいきとできる じゃないといい仕事はできないと思ってを日々模索しました。
- 人との関わりが好き!
- 信念を貫きたい!
- 自らの力で「幸せ」と「喜ばれる」貢献をしたい!
- 毎日輝いてワクワクした仕事をしていたい!
- 常に進化し続けることをしたい!
無痛整体と出会う
「人の役に立つ人間になりなさい。そして、自分も幸せになりなさい」と恩師からの教えも心にありました。
単純ではありましたが、自分はずっと格闘技や球技などスポーツをしている期間が多かったこと、
職場で身体の不調の悩みを持つ人が多かったことを踏まえ探した結果
「生きることの根本である健康に携わることなら、お客様へのお手伝いと喜びが共感ができる。」
と整体へと思いが繋がりました。
しかし何処も時間とお金をかけて卒業するためのプログラムを組んでいるところばかりでした。
半ばあきらめかけていた時、何気にスマホを見ていると、
「生き方を学ぶ整体」という言葉が目に留まり、
先ずたどり着いたのが、大阪枚方市の心身楽々堂の西田先生でした。
私が知らなかった整体に出会い、現代社会での心身の問題、原因不明と言われ途方に暮れた人達が溢れていることなど自分が知らない様々な真実を知りました。自分が知っていた整体とは全く違いました。
「思想.理論.手技」に感銘を受け、自らの身体の力の素晴らしさを改めて知り、癒しも与えることができる。
もうこのまま辛い症状が一生続くのかと絶望を感じている方のお手伝いでさえもできる。
まさにこれや!と思いました。
そして、すぐに募集があり、習えたのが心整体法<初級>という講座でした。
もっと本格的なものを学びたい思いを胸に、その募集がある時まで、まずは家族と親しい仲間に癒しの術として施してました。
この整体に出会ったことで、
自らの身体のしくみを使って改善し健康を取り戻せる事を伝えたい。
いや知った以上伝えていく義務がある!
病院で原因不明と言われ途方にくれた方、最近では、若年層のあいだで「起立性調節障害」と診断される子供達がたくさんいることをここで知りました。
整体スクール入門
そんな気持ちが湧いてから、いよいよとの時、
西田先生のところで学ばれ信頼もあるお弟子さんが整体スクールを京都で開催するとの情報を得ました。
名前も最初に受講していた時に聞いていたこともあり、私が拠点にする京都で実際に整体起業をされているということで、
体験説明会へ行き、すべて納得しあらためてこの整体を絶対自分のモノにするんだ!と、タイミングも合い入門を決めました。
そんなご縁をいただいたのが、京都市右京区にある「無痛整体ながれ堂」の村地先生でした。
勤めながら、お客様の夢や幸せをへのお手伝いができるように、必死に毎日整体の事ばかり考える一年間を送りました。
私の他にもそれぞれの思いを叶えようと集まった仲間と共に学び、切磋琢磨し、無痛自然整体法を体得し整体スクールを卒業しました。
整体スクール卒業後
卒業後は、仕事を掛け持ちしながら出張整体という形態で営んでいました。
駆け出しの自分でしたが、ありがたいことにホームページを見つけて、お願いしてくださるお客様が徐々に増えてきました。
それと同時に、こんなにも悩んでる方がたくさんいらっしゃる事も実感しました。
苦労と感じないくらいこの仕事に出会えて良かったと思います。
2020.10.8 店舗としてオープン
充実しながら毎日を送っていましたが、お問い合わせやお話の中で「店舗としてはされないんですか?」という声もいただくようにもなりました。
出張の利便性もありますが、なかなかお家に上がるというハードルも実際には高いこともあり、店舗を出してより広めようと店舗を出しました。
今まで出張で対応してご利用いただいてたお客様は、時間を作っていまでも出張でメンテナンスのお手伝いをさせて頂いてます。
子どもたちを元気に!
スクール卒業後のお客様は、サラリーマンの方がほとんどだったのですが、店を出す少し前ぐらいから、お子さまに関するお悩みのご相談・予約が入るようになり、
自分自身も親側としての体験を含めどうにかしないとと熱意が沸き立ち、
店の立ち上げをきっかけに起立性調節障害に力を注ぐようになりました。
私は20代後半に離婚経験があります。
子供達(長男、長女)を引き取り、私の父母に助けてもらいながら数年間一緒に楽しくいた時期がありました。
しかし、長男が小学校5年生に上がる時ぐらいに、
「朝起きれない」、起きても、また立ち上がれないという事態になりました。
思えばあれは起立性調節障害やったのか?と、この整体と関わってから、思い返すことになりました。
当時は、まだそういった情報やそういった他のご家族もなく、ただただ悩むことしかできませんでした。
様子としては、起立性の典型的な昼、夕方になるにつれて、何事もなかったように元気になり、夜少し寝つきが悪い感じで、朝になるとまた起きれない状態でした。
学校で何かあったのか?
私のせいかな?と不安になったりしました。
日がたつにつれダラついているのだと勘違いして、叱ってしまったこともありました。
ただ、病院に行って診てもらうというとことは考えつきませんでした。
そこはあとあと考えると、疎くてよかったです。
できるだけ一緒にいる時間を作り、日々心配するも何も出来ず、もがくことしかできませんでした。
気づいたことは、
なにか我慢している感じのことが多かった、
母親(前妻)と会う前日からは起きれて、会った次の日からまた起きれないという繰り返しになる、
ゲームをよくしていた、
お菓子をよく食べ偏食気味
という感じでした。
長男の場合は、特に精神的な原因での過緊張が大きかったと思います。それに加えての姿勢の悪さによる身体的原因、間食の食生活もありました。
幼いころから長男は本当にお母さん子でした。その存在が私の想像以上に大きいものだったんでしょう。
気を使ってくれていたのか、言葉や態度でも表現することはなく、ひとり抱え込みかなりのストレスを背負っていたのだと思います。
ゲームの長時間に関しても姿勢にトラブル(過緊張)を起こさせていたと思います。
子供達の今後のこと、いきいきとした環境が一番だと考え、母親(前妻)の元へと引き渡しました。
その後、新しい生活において混乱させないようにと、会うことはできなくなくなりましたが、
新しい生活で野球をはじめたり、のちに元気に学校も行けるようになったみたいで良かったです。
きっと適度な運動で食生活、身体の体幹ができ改善されたのかと思います。そして精神的な支柱が戻ったことが大きかったのでしょう。本当に良かった。
体調に出るくらい辛くて悲しい思いをさせてしまい、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
この整体人生に関わったことで、理由や原因は違うとて、辛く孤独になってしまっている子ども達のお手伝い、ご家族の心が壊れてしまわないように、起立性調節障害についてしっかりお伝えしていく使命と責任があると思い、店舗を出す機会に起立性調節障害に力を入れて対応することにしました。
おまけ
(心之助の由来)
心と身体はひとつ。
その、心と身体になにかしらの原因で不調を抱えてしまった方々に整体と愛を持って心の一助になりたい。
ひとりひとりが持っている神秘的な力により輝きを取り戻し健康へ導くお手伝いがしたい、優しい月の光のように寄り添って行きたい「こころからのたすけ」というストレートな思いから名付けました。